パナソニックサイトへのリンク

Translate The Way of The Pinwheel

2017年1月19日木曜日

No.266 水戸黄門は思春期の頃かなりグレていた(番組評価 60/100へえ)

水戸黄門こと徳川光圀といえば徳川御三家の水戸藩を治めた藩主で、徳川家康の孫にあたります。その頃の様子は、光圀の教育係小野角右衛門の書物「小野諫草(おのいさめぐさ)」、光圀の侍医の一人、井上玄桐の書物「玄桐筆記(げんとうひっき)」などに書かれています。「小野諫草」には「本格的にグレていたのは15~18歳の頃」とあります。
思春期の光圀は派手な格好をして悪友達と勝手気ままな行動をくり返していました。その他にも町人たちの相撲大会で、光圀の悪友たちがことごとく負けると腹を立てて刀を振り回し、相撲大会を台無しにしています。ワガママです。ガキ大将です。ジャイアンです。さらに遊廓に上がって遊ぶようになると、弟たちをつかまえてあれこれいやらしい話をしては教育係を困らせていました。
そんな光圀は18歳の頃、中国の歴史家・司馬遷の「伯夷伝(はくいでん)」という史記を読み、兄弟の家督相続を譲り合う内容に大変感銘を受け、自分の身勝手な行動を悔い改め更正しました。でも、想像だけど、ワルの気持ちが分かるからこそあれだけの大きな人物になれたんだと思うよ。

0 件のコメント:

コメントを投稿

Thank you for commenting. We value comments and will reply to questions. コメントを残していただき、誠にありがとうございました。