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中谷一郎さんについての話

アルフレックスの高杉涼が「制作室」というページで制作奮闘記 2004年5月14日を書いていて、その内容を抜粋しました。


さて近頃また名優達の訃報が相次ぎ誠に残念でなりません。ドリフの長さん、そして弥七こと中谷一郎さんまでもが、お亡くなりになり…、昨年ご自宅でお話させて頂いたお元気な姿が今も目に浮かびます。大変喜んで下さり考え深げに弥七のフィギュアを優しい笑顔でご覧頂き「もう少し体調を整えて舞台に立つために、今は色々と考えているんですよ」と話しておられました。本当に残念です!今は心よりご冥福をお祈り申し上げます。本当にまだまだこれからという名優達が居なくなってしまうのは残念でしかたありません。


第32部放送開始の前の2003年7月25日、放送1000回を記念した『水戸黄門』の歴代キャストが集合した特別番組において、中谷がVTRで出演し、久々に姿を見せたが、これが事実上最後のテレビ出演となった。



Huffington Post では:


弥七は第27部、八兵衛は第28部をもって、それぞれ第一線から退いたのち、1000回記念スペシャルで再登場。八兵衛が『田毎庵』に定住し、弥七、お新、成長したお梅とともに、仲睦まじく暮らしている様子が描かれていた(弥七は過去放送のVTRのみ放映)。

放送から4か月後の2004年4月1日、中谷一郎は73歳で初代・2代目光圀のもとへ旅立った。5代目光圀(2代目助さんでもある)の里見浩太朗は、弔辞で「もう1度、あなたの弥七が見たかった」と故人をしのんだ。


以下は死去を伝える色んなページから抜粋しました。


「風車の弥七」逝く…中谷一郎さん死去
73歳、咽頭がんで

 人気時代劇「水戸黄門」(TBS系)の「風車の弥七」役などで活躍した俳優の中谷一郎(なかたに・いちろう、本名=中村正昭)さんが1日午前9時42分、咽頭(いんとう)がんのため、入院中の東京都豊島区の癌研究会附属病院で亡くなったことが2日、わかった。73歳だった。通夜は4日午後6時、葬儀・告別式は5日午前11時30分から、東京都目黒区碑文谷4ノ21ノ10の帝都典礼碑文谷会館で。喪主は夫人で女優の中村美苗(なかむら・みなえ)さん。

 中谷さんが所属する劇団俳優座によると、中谷さんは数年前からがんを患い、入退院を繰り返していた。「その合間に、『水戸黄門』などの仕事をこなしていたが、がんの転移がわかった昨年暮れから入院生活を送っていた。妻の美苗さん(50)が1人で看取る、静かな最期でした」(劇団関係者)。

 中谷さんは札幌から上京し、早稲田大学文学部で仏文学を専攻したが、在学中に俳優座養成所に合格。大学を中退して演劇の道に進んだ。俳優座同期には仲代達矢、宇津井健、佐藤允らがいる。舞台に加え、映画「独立愚連隊」(岡本喜八監督)での小隊長・石井軍曹役の不敵な面構えなど存在感のある脇役として映画、テレビでも活躍。

 なかでも名前が注目されたのが、「水戸黄門」の弥七役。昭和44年8月の放送開始から平成11年放送の第27部まで30年余にわたって東野英治郎、西村晃(ともに故人)、佐野浅夫の歴代ご老公に仕え、出演回数は計687回を数えた。昨年12月放送の1000回記念作では、過去の作品のVTRで登場した。

 元忍者で助さん、格さんらがご老公と行動をともにするのに対し、いつも別行動で悪人の動向を監視。一行が危機に見舞われると突如現れ、赤い風車を投げて救うヒーローだった。そのイメージが強かったせいか、劇団の舞台でも客席から“弥七っ!”の声がかかり、インタビューで「外国人の役をやっていると、本当に困ったものです」などと語ったこともあった。

【頼れる兄貴だった】

■「水戸黄門」のうっかり八兵衛役で共演した高橋元太郎(63)の話 「本当に面倒見がよく、私が歌手から俳優になって『水戸黄門』に出演したばかりのとき、『元ちゃん、こっちに来てみんなと話そう』と声をかけてくれた。本当に頼れる兄貴…。今年の正月に開いた私の陶芸の個展に来てもらおうと電話をかけたが、つながらなくて不安だった。きのう(1日)、奥さんに会って(死去を)知った。中谷さんは奥さんに『病気が完全に回復するまで人に合わない』といっていたそうです。最後まで治ると信じていたのでしょうね。第1回から『水戸黄門』にこれほど出演したのは中谷さんだけ。中谷さんあっての黄門でした」

【寂しいです…】

■俳優座で同期の俳優、佐藤允(まこと)(70)の話 「2年ほど前、岡本喜八監督宅の新年会で会ったのが最後。体調が悪いと聞いていたので心配したが、お酒も飲み、『大丈夫だよ』といっていました。昔の仲間が亡くなっていくのは寂しいですね」




風車の弥七旅立つ…中谷一郎さん死去

人気時代劇「水戸黄門」(TBS系)の風車の弥七役などで親しまれた俳優中谷一郎(なかたに・いちろう、本名・中村正昭=なかむら・まさあき)さんが04年4月1日午前9時42分、咽頭(いんとう)がんのため都内の病院で死去した。73歳。「水戸黄門」では69年の放送開始から出演し、99年まで計687本の出演で人気を集めた。93年に大腸がん手術を受け、昨年末に咽頭への転移が判明。今年1月から入院生活を送っていた。

 中谷さんが所属した劇団俳優座によると、中谷さんは昨年11月に咽頭がんが判明した。93年には大腸がんのため12時間の大手術を受けている。今年1月から豊島区の癌(がん)研究会付属病院に入院したが、医師には「手術はしなくていい」と告げ、放射線治療などを受けていた。子供はなく、最期は妻で女優の中村美苗さんらがみとった。亡くなった1日には俳優座の劇団総会が開かれており、その場で訃報(ふほう)が伝えられた。劇団員150人で黙とうをささげたという。

 中谷さんは55年に俳優座に入団した。59年の映画「独立愚連隊」(岡本喜八監督)の軍曹役で人間味豊かな性格俳優として注目を集め、岡本作品のほとんどに出演した。「用心棒」「日本のいちばん長い日」など、存在感のある脇役として人気を集めた。プライベートでは、74年に、交際していた俳優座のスター女優木村俊恵さんが挙式当日に心臓衰弱で亡くなるという悲劇にも見舞われている。同期の仲代達矢(71)の退団後、劇団の中堅として活躍。93年に主演した「タルチュフ」が最後の舞台となった。

 TBS「水戸黄門」には、劇団の先輩で初代黄門役でもある故東野英治郎さんの誘いで参加し、69年8月の第1部から風車の弥七役として登場した。黄門一行が危機に直面するとどこからともなく現れてピンチを救う元忍者、という設定でファンも多かった。レギュラー出演者の中で第1話から出演していた唯一のキャラクターであり、東野さん、故西村晃さん、佐野浅夫の3人の黄門の従者として活躍した。


 93年の大腸がん手術後もすぐに「黄門」の現場に復帰。糖尿病とも闘いながら、弥七役を大事にしていた。しかし体調不良のため99年の第27部までで出番を終え、出演回数計687話だった。昨年12月15日に放送された1000回スペシャルでは、友人と温泉に出掛けて不在という設定で、黄門の回想シーンでかつての出演VTRが使われた。


◆中谷一郎(なかたに・いちろう)
 本名・中村正昭。1930年(昭和5年)10月15日、北海道生まれ。早大を中退し俳優座養成所入り。同期に仲代達矢、宇津井健ら。55年に俳優座入団。主な舞台は65年「ザ・パイロット」81年「神の汚れた手」93年「タルチュフ」など。ドラマは「水戸黄門」以外に「江戸の鷹」、映画では59年「独立愚連隊」70年「戦争と人間」74年「新仁義なき戦い」がある。
葬儀日程
 ▼通夜 4日午後6時から東京都目黒区碑文谷4の21の10の碑文谷会館で。
 ▼葬儀 5日午前11時半から同所で。
 ▼喪主 妻で女優の中村美苗(なかむら・みなえ)さん。


5代目里見黄門「まだ早すぎる」

 5代目黄門の里見浩太朗(67)は2日朝、京都市の撮影現場に向かう車中で訃報を聞いた。第33部(12日スタート)のロケだった。里見は71年から17年間「助さん」役を務め、02年から黄門を演じている。中谷一郎さんと30年近く共演した里見は「時々電話で話をして元気そうな声が返ってきたので、まさかとは思っていたけど…。まだ早すぎる。とても寂しいです」とコメントを寄せた。この日の現場は「昔一緒にロケに行った場所。しばし、その場で昔をしのんだ」という。


 また、くの一役で86年から共演した由美かおる(53)も「かっこいい、いぶし銀のような魅力を持った素敵な方でした。もう1度、元気になられて一緒にお仕事をしたかったです」と心境をつづった。

旅仲間が悲しみの声

 うっかり八兵衛役で30年間共演した俳優高橋元太郎(63) 「風車の弥七」がいたから「水戸黄門」が31年も続いたと思います。プライベートでも旅行や食事に連れて行ってもらったり、「兄貴」であり「友人」であり「師」でした。昨年12月の特番の際「出演してください」と電話でお願いしたのが最後でした。自分の死が近づいていることを「心配をかけないように」と誰にも知らせずに逝ってしまったんです。(1日夜、中谷さん宅に行って)優しい顔をしていました。


 3代目黄門(93~00年)の佐野浅夫(78) (訃報を聞き)一瞬言葉を失いました。中谷さんは水戸黄門の生みの親であり育ての親ともいえる(プロデューサー)故逸見稔さんに「風車の弥七」という役柄で育てられました。その逸見さんの誕生日(4月1日)に、私たちの前から去ってしまいました。この因縁に思いを寄せながら、今私はただただ心から中谷さんの愛称で「ミンクさん、お疲れさま」とめい福を祈るばかりです。

nikkansports.com から:

「水戸黄門」の風車の弥七役で活躍した俳優中谷一郎さん(04年に73歳で死去)の妻美苗にとって、脚本執筆は亡き夫との約束だった。がんと闘う中谷さんを看病する傍ら、少女時代の夢だった脚本執筆を始めた美苗を後押ししたのが夫だった。中谷さんは死の直前に「僕が死んでも書き続けてほしい」と語り、「1人になっても書いていく」と答えた美苗は言葉通りに脚本を完成させた。


抜粋した文書が正しい情報なのかとかは一切わかりません。ただ2004年のニュースであることは間違いないでしょう。 11年も過ぎています。風車の弥七を見る時だけ、その時間だけは中谷一郎が存在しているように思ってしまうのです。

ジャック・デリダ(Jacques Derrida, 1930年7月15日 - 2004年10月8日)は、フランスの哲学者である。中谷 一郎(なかたに いちろう、1930年10月15日 - 2004年4月1日)は、日本の俳優。同じ年に生まれて、同じ年に亡くなっています。
顔が似ているのではないかと思いましたが、そうでもなかった。




 朗読・宮城道雄随筆集⑪

「水の変態」

朗読・宮城道雄随筆集⑫

「春の海」

この2つが中谷一郎のCDである。昔はテープだったと思う。

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